『DEATH 「死」とは何か(完全翻訳版)』を読んでみた
仕事で疲れ果て、趣味も楽しくなくなり、無気力で、考えるのは死のことばかり。死による自身の喪失に対する恐怖に、眠りにつけない日々が続く…。
そんな時期に本書を読んでみました。「死」に対する不安をどうにかしたかった、というのが正直なところです。
■内容はガチな哲学書
本格的な哲学書であるがゆえに、読み進めるのに苦労しました。AであるときBではないのか的な考察がずっと続きます。論証あっての哲学なんですけどね。自分のおつむではちょっとこんがらがったりします 笑
例えば、魂は存在するのかという考察。
魂は身体と別に存在すると主張する「二元論」と、魂は身体の機能の一部であるとする「物理主義」の二つの見方から、魂とはなんぞやという考察が行われる。
著者のシェリー・ケーガン氏は物理主義者で、自分もそちら寄りだったため、違和感なく読むことはできました。
■死が「悪い」なら、永遠に生きるのは「良い」ことなのか
目次を見てまっさきに開いたのが「不死」に関する項目でした。マンガや小説などで、そういったテーマに触れることはあったので、もともと「不死が良い」ということに対して懐疑的だったとはいえ、はっきりと文章で証明されると、頷くほかないです…。
実は高校生時代までは、本気で不死になれないかと考えていました。将来は遺伝子やテロメアの研究をしようと思うくらいに。それくらい死に対する嫌悪感は強かった(もっと言えば、少しも満足に生きていなかった)のでした。
大人になってからは、考えないようにすることで誤魔化していました。そのうち死ぬことよりも、きちんと生きることにフォーカスしていくようになるのですが、死に対する恐怖感は時折ぶり返していました。本書を読むことできちんと死と向き合えたのは良かったと思います。
■死はなぜ悪いのか
死のタイミングというのは、多くの場合早すぎるのが問題だという点。たかだか80年ぐらいの寿命でさえ短く感じるのに、事故や事件、病気によって早くにその人生に幕を下ろしてしまう可能性は常にある。もしその後も生きていれば享受できたであろう良いことを奪われる。
しかしそれに対して著者は一石を投じています(非存在と悪は同居できるか等)。
■少なくとも今、私は生きている
命は有限であるからこそ尊いと感じられる。これまで生きてこられたのは、信じなれないほどの幸運なのだということに気が付けば、死ぬことへの悲しみよりも、感謝の気持ちのほうが大きくなるように思います。
個人的な価値観といえば、それまでの話にはなってしまいますが、目次を見ても、どれも興味深い内容になっています。いわゆる「スワンプマン問題」も出てきます。興味のある方はぜひご一読を。